前回の投稿の最後に、長州力氏のパワーホールの音源を貼り付けていて、ふと思い出したことを書かせてもらいます。
最近はすっかり《脱力系おもしろオジイさん》になってしまった長州力氏ですが、全盛期(80年代後半)は本当に尖っていて、ブラウン管(笑)を通じても、氏のピリピリしたした心理状況が伝わってくるほどでした。
さて、長州力氏のテーマ曲といえば有名な《パワーホール》です。
このパワーホール、作曲者の名前が《異母犯抄》となっており、当時から「誰なんだろう?」って思ってました。なにしろ今みたいにインターネットとかない時代の話で、調べようがなかったというのか、自分のアンテナが低かったというのか(笑)
のちのちインターネットが普及するに及んで、異母犯抄とはP-MODELの平沢進氏であったことを知り、「ああそうなのか。」と妙に納得したことを覚えております。
そしてこのパワーホールなんですが、その作られた時のエピソードが結構面白いです。そもそも!なんですけど、平沢進氏はプロレスに1ミクロンも興味がなく、長州力というプロレスラーさえ知らなかったらしいです。それを依頼者(新日?)に「YMOみたいなのを作ってくれ!」と頼まれ、
《メロディーラインを三音にしてシンプルなテクノポップ調のこの曲を苦し紛れに適当に作った。》
らしいです。依頼があったのは80年のことで、例の《かませ犬発言》よりずっと前の話です。たぶん作曲を依頼した人も、平沢氏も、なにより長州氏本人も、後年長州力というレスラーが大人気になり、この曲がいろんな場面で使われることになろうとは誰もが想像していなかったことでしょう。
しかもこの曲、著作権を買い取りという、要するに泳げたいやきくんと同じシステムにしてしまった結果、その後いくらあの曲が使われても平沢氏のお財布には使用料がまるっきり入ってこないというオチまでついてます。
世に言う名曲とかそういうのって、チョイチョイこういう話があって面白いですね。